『つながり』と『しがらみ』について
吉田 健一
「つながり」という言葉を聞いて多くの人はどういうイメージをもつだろうか。
多くの場合「つながり」という言葉はプラスイメージで使われる。政治家も営
業の仕事をしている人も日々多くの人との「つながり」を作るために努力をし
ている。また、孤独な若者は携帯のメールなどで「つながり」を求めるのに必
死である。今の日本人は老いも若きも「つながり」を求めて生きている。
一方「しがらみ」という言葉を聞いて多くの人はどう思うだろうか。大多数の
人はこの言葉にマイナスイメージをもっているだろう。しかし、実は「つなが
り」と「しがらみ」は紙一重なのではないだろうか。私は選挙の応援や他の研
修で地方都市に行った時によくその町(市)の政治・行政・産業・人間関係の
歴史など固有の事情を聞かせて頂く機会が多い。昨年行ったいくつかの都市で
も、今、フリースクールの研修で来ている北海道の夕張でも似た話を聞いた。
政治というものが、人間が共同で様々な公的な問題に対する営みである限り「
しがらみ」がなくならないのは当然だろう。しかし、財政が危機的状況で、そ
の自治体は倒産寸前という状況であっても改革が進まない理由が、その地域の
政治・行政が全てこれまで人間関係(しがらみ)によって行われてきた結果だ
と聞くと複雑な気持ちになる。改革が必要な場合はその地域(組織)に「つな
がり」がない人でないと何も出来ないという状況が最近はよく起こっている。
個人が全く「つながって」いない世の中は冷たくおそろしいが、逆に個人が、
みな何かの「しがらみ」に支配されている世の中も怖い。しばしば「つながり」
は「しがらみ」に転ずる。これを個人レベルで防ぐには「君子和して同ぜず、
小人同じて和せず」という精神を絶えずもつというような努力が要る。綺麗事
だと言われるだろうが、政治に関わろうとする人間は「つながり」を構築する
努力をしつつ「しがらみ」は作らないような努力をしていくべきだと思う。
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